WRITING 2019.01.29


折形に見る“包む”ということ


折形 金封包 photo©Ayaka Umeda

日本語で“包む”というと「お金を包む」というように「相手に贈る」という意味があります。しかもぶっきらぼうに渡すのではなく、ほとんどの人はある作法に則って贈答することを想起するでしょう。そこには「相手を思い遣る」「中身を大切に扱う」という意味も相応に含まれています。つまり日本では“包む”ことをある種の神聖さが備わる行為として扱われることがあります。
その“包む”文化の歴史を紐解くと、まず折形(おりかた)という言葉に行き当たります。現代では折形はほとんど見かけなくなりましたが、結納や祝儀袋にその残滓を見ることができます。一般的には贈り物を紅白の紙でくるんで水引で結び、熨斗を添えて相手に贈る、"包み”の作法と捉えられています。
折形が興ったとされる室町時代、政権が武家に移り公務を行うための書き記すための和紙が武家の必需品となります。しかし当時まだまだ和紙は高級品です。その高価だが必要である和紙、特に杉原紙という和紙一束に扇一本を添え、さらに紙で包みまとめて紙縒で結束したものを贈答してものごとや政治を巧みに動かそうとしたようです。書き記すことが目的である仕事道具を、包むことだけを目的とした和紙で包み、さらに儀礼の象徴として扱われていた扇を添えて贈答品として成立させていたのでしょう。当時の具体的な形を示す資料は残っておらず、私たちは江戸時代に記された本からその形を推測するしかありません。扇がどのように扱われていたのか不明ですが、おそらく初期は紙の束をシンプルに紅白の2枚の紙で保護するように巻いていたと推測されています。当時はまだ折形という言葉は使われていませんでしたが、少なくとも武家の隆盛とともに贈答の作法は存在したようです。これが「中身をくるんで相手に贈る」という意味の“包む”の初源と考えられています。


京都の神社の紙垂と注連縄による結界。紙垂は一説には稲妻を表すとされる。

その一方で、神道でも書き記す用途以外で和紙が使われていました。古代、色に染めることは簡単でも自然の中にあって真っ白に漂白することがどれほど難しいかを考えると、和紙が無垢で穢れのない清浄なものとして見なされた気分も理解できると思います。現代でも幣(へい)や紙垂(しで)、または瓶子を飾る雄蝶雌蝶などを神社や神棚で見ることができます。こちらの方が発祥は古く平安時代と言われておりますが、その習慣だけが残っており詳しい起源や意味などは失われています。しかし物をくるむ形は少なく飾りや依り代のように使うものが多いことから、どちらかというと儀式的な意味が強かったように見受けられます。薄く平たいために存在が希薄に感じる無垢の紙を折り出して形と意味を生み出すことで、ある種の祈りの体現を見ていたのかもしれません。神道の折形も時代や地方でさまざまに型や装飾が発展していますが、いずれにせよ現代まで続くためには、神道での厳かな儀式の雰囲気に見合う佇まいを、その真っ白な紙で折り出されたものが備えていたことは間違いありません。


雄蝶と雌蝶。神棚の御神酒を入れた瓶子の口などを飾る。起源は不明だが、雄と雌、つまり陽と陰の意味が付け加えられた、ある種の呪術に似た念が込められた形であろう。

おそらく武家の間でも、包んでまとめるだけではなく厳かな贈答品としての雰囲気を備えるために、神道の紙の使い方も取り入れられたのでしょう。単に"包む"というよりは、紙の端を折り重ねて加飾し、美しく形を整えるような折形が数多く生まれています。桃山時代ごろから紙が大量に生産されて価値が下がると、工芸品やお金などその他のものが贈答に使われるようになり、それぞれの中身を工夫して包むようになっていきます。


江戸時代の書物に見られるさまざまな折形のかたち。

江戸時代に入ると“包む”作法は諸家それぞれで礼法として伝わり様々に発展していきました。特に和紙が庶民にも普及した時代でもあり、無数の型が生まれたようです。右前の形やある程度共通している作法を見出すことは可能ですが、時期や地方によってもその型は異なりこれが本流というものはありません。型の多さから推測するに、それぞれが時代時代で工夫し、教えられた型や他分野の要素を取り込みながら発展した分厚い文化であったと見る方が自然です。そこに日本人の“包む”という行為に対する強い思い入れが感じられます。
折形を眺めていると"包む"という行為は、贈り物を清浄なものとし美しく形を整え厳かな佇まいと格式を備えるという祈りとして多様に、そして厚く発展していたように見えます。単に中身を保護しまとめるためだけではなく、中身や贈る人や状況に合わせて折りを工夫し、“包む”ことを楽しんでいたのでしょう。現代でも、ちょっとした贈答品でも必ず掛け紙が添えられるように、“包む”という心遣いは形を変えながらも、我々の中に豊かな文化として今なお息づいています。