伝統とは壁のような物だと思っています。壁に向かってそれぞれの時代の人がそれぞれに思うように出来るだけ綺麗に塗り重ねようとする。前の人が作った形を活かそうと薄く塗る方法もあるし、改めて面を作るように厚く塗る方法もある。凸凹した面を残された人はそれを平らにしようとするかもしれないし、その凸凹を活かすように塗り上げるかもしれない。下手に塗ってしまったと思っても次の人が直してくれるかも知れないし、逆にそれを活かすかも知れない。どうなるか先のことなんて誰も分からないけれど、壁は常に新しく、しかし壁としてある。本質は壁として残るものだと思っています。そして、その塗り重ねることが伝統だと思っています。その壁をそのままに維持しようとした途端、壁は伝承になり発展が終わる。伝承はそのまま伝えようとすることですが、それはいつか必ず消える運命。つまり伝承は消滅の先延ばしです。伝統という発展である限り、壁は終らないものだとも思ってます。
幸いなことに多くの伝統工芸士の方とお話させて頂く機会を頂きましたが、思った以上に色々と挑戦されていることに驚きました。話をさせて頂くまで、伝統工芸とは頑固にこだわりを持って手間をかけても昔と同じ一つのものを全力で造り上げる、そういう世界だと思っていたからです。全くそうではなかった。一番大切にされていること、それは納期を守ることというごく当たり前のことで、本人達は出来るだけ時間を短くしようと手間を掛けないで済むように技術を磨いて動いていました。抜ける手は出来るだけ抜く、抜けない手は絶対に抜かない。手の抜き方を伺っていると、感動的な技巧が施されていたりしました。「手間が掛かってますね」とは、職人にとって全く褒め言葉にならず、むしろ技術がないですね、と言うのと同じ意味になってしまうようです。大概の伝統工芸士の方は言われ慣れていますので気にされていないようですが、伝統工芸を分かっていないと思われるので言わない方が良いと思います。
このように、色々な伝統工芸士の方々とお話させて頂いた中で感じたことを、壁を塗り重ねること、伝統と伝承などの言葉でお話しすると、その通りだと仰って頂きました。特に「塗り重ね」という言葉は、現場に身を置き実践されている方々にとっても適した言葉だったようです。何人かの方は「今度からそう言う」と仰ってくれたりしてたので、そう外れた表現ではないように期待しています。
特に技術を持っておられる方の方が時間に余裕があり、色々なことに挑戦されているように思えます。当然、守る壁は大切にされておられますが、伝承になることは全ての方が嫌っておられました。失敗するかも知れないけれど、塗り重ねの中で本質からずれる所は修正され、残るべきものは残るはずです。継承すべきは物ではなく技術だ、なにもしないよりマシだ、と盛んに仰っていたように思います。どうにかして壁を塗ろう、そういう気概は職人の方々の生きた証として壁に中に残るのかも知れません。そういう方々と現場を目の前で見れたことは、ここ数年の中で最も幸せなことだったように思います。